2000年2月 のアーカイブ

やりたくない

2000年2月29日 火曜日

人生において必要なのは、「なにができるか」じゃない、「なにをやるか」だ。
できるできないばかり考えて自分の力を限定してしまうのはもったいない。
非常につまらない。
「勇気と無鉄砲とは違う」とはよく言ったものだが、ぼくとしては無鉄砲大いに結構、だ。
「命をかけて」進んでいく姿は賞賛に値すると思う。
ただ、安すぎる命ではあるけどね。

常に先を考え、ちまちま努力する。
いちばんカシコイ生き方だな。
楽をさせたいものだから、親は子供に言う、「勉強しなさい」
勉強しないでいま苦労してるものだから、たちが悪い。
しかしまあ、皮肉なことに「歴史は繰り返される」
子供も楽をしたいのだ。
「いま」の段階で。
これをくりかえすから、親のようになってしまうのだ。
親もいまの不幸にやり場のない憤りを感じる。
当然、どうしようもない「過去」に向けられたその後悔は、子供に投影される。
都合よすぎるが、まあ仕方ない。
それを煙たがってるようじゃ、奴らと一緒なんだよ。

後先考えずに、突っ走って生きていきたい。
死んだらそれが運命だと割り切れる自信もある。
自分を見限るのはいやなの。
カシコイ生き方をすること、それは「なにができるか」しか考えてない生き方じゃないの?

おれは、やるぞ。
…やりたくないけどね。
生きている意味なんか知らない。
でも、やるしかないから、しかたなく、あああああああああああああああああああああああああああああ

って、叫んでるんだぜ?手始めに。

(註:おれは親[特に父親]が嫌いでした。)

既成事実

2000年2月23日 水曜日

理由なんていらない
意味なんていらない
ただなるようになるだけだ
「そういうふうにできている」

ぼくには何が必要なのか
ぼくはなにを求めているのか
なぜそんなことを考えているのか
考えることが目的なのか
わからないけど ただ…
絵が描きたいんだ。

理由なんてない
意味なんてない
ただそう思ってしまっただけだ
「そういうふうにできている」

何が必要だとか
何のためとか
そんなものは後からついてくる
とにかく進め。

止まってちゃダメだ
世間体じゃない
ただ自分に従うだけ
「そういうふうに」

生きてみたい
…命をかけて。

道路の裏側に

2000年2月18日 金曜日

夜10時。
駅の公衆便所では人が寝ている。
飾りなしに、偉いと思った。
彼は生きていた。

駅のホームには人はまばら。
電車に乗っても乗車率は40%くらい。
酒の匂いがした。
いつもなら嫌なはずなのに、心地よかった。
そこには生のリアリティが満ち溢れていた。

これだけ命が氾濫していると、「無駄な命」を意識する者が多くても当然だ。
ぼくは死をイメージした。
自分の死を。できるだけ鮮明に。
得意の妄想の一環だったが、(逆に)妄想はぼくに「生きている」実感をあたえた。
(それはさらに逆に)ぼくは、死んでいる…(とぼくに思わせた)

便所で寝る彼のほうが、酔いつぶれる彼女のほうが、よっぽど“強く”生きていた。
ぼくはバスがないので歩きながら、考えをやめていた。
前方さえ見ていなかった。目をつぶった。
一歩間違えれば死、それが生のリアリティ。
自分自身にリビドーを発見できるなら、よかった。

最近ぼくにとって学校はデストルドーの増幅所だ。
ははは、おれ死ね死ね。
って、思ってる。本気で。
だけど「よりよく生きるために」行ってる。
おれ最高。

絵をかけるなら、生きていてもいいかな。
消極的に、死なないように、「いる」ぜ、きょうもおれは。

(註1:この頃、フロイトの本を読みました。)
(註2:()内は2006/09/12の加筆です。多分こういう意味だったんだろう。)

歯車

2000年2月15日 火曜日

おれはからっぽ。
うれしいときは、人がうれしそうにしているとき。
あくまで見ているだけで。混ざるのはイヤだ。
ホンネはね。

おれの中身を決めるのは、おれだけじゃない。
むしろほとんどが他人によって決められる。
おれは、おれが作ったんじゃない…

これは、おれじゃない、そう思いませんか?
おれは、おれは…

…痛みが欲しい。恐怖が欲しい。
動かない自分を叩き割りたい。

ショックじゃない。
なにも、おれを動じさせない。
知っていたから。
何が起こるか知っていたから。
ある程度、理解していたから。
なのに震えがとまらないのはなぜ?
おれの心の平和を乱すのはなに?
かすかな優越感を揺るがすのはなに?
…だれ?

捨てられてもいい、使い道はまだある。
…ゴミじゃない。
おれをばかにするな。
動かないお前らには飽きた。
…力のかぎり、死ね。

おれはまわりつづける時間の中で何度も願った。
もういちど。