夜10時。
駅の公衆便所では人が寝ている。
飾りなしに、偉いと思った。
彼は生きていた。
駅のホームには人はまばら。
電車に乗っても乗車率は40%くらい。
酒の匂いがした。
いつもなら嫌なはずなのに、心地よかった。
そこには生のリアリティが満ち溢れていた。
これだけ命が氾濫していると、「無駄な命」を意識する者が多くても当然だ。
ぼくは死をイメージした。
自分の死を。できるだけ鮮明に。
得意の妄想の一環だったが、(逆に)妄想はぼくに「生きている」実感をあたえた。
(それはさらに逆に)ぼくは、死んでいる…(とぼくに思わせた)
便所で寝る彼のほうが、酔いつぶれる彼女のほうが、よっぽど“強く”生きていた。
ぼくはバスがないので歩きながら、考えをやめていた。
前方さえ見ていなかった。目をつぶった。
一歩間違えれば死、それが生のリアリティ。
自分自身にリビドーを発見できるなら、よかった。
最近ぼくにとって学校はデストルドーの増幅所だ。
ははは、おれ死ね死ね。
って、思ってる。本気で。
だけど「よりよく生きるために」行ってる。
おれ最高。
絵をかけるなら、生きていてもいいかな。
消極的に、死なないように、「いる」ぜ、きょうもおれは。
(註1:この頃、フロイトの本を読みました。)
(註2:()内は2006/09/12の加筆です。多分こういう意味だったんだろう。)