(註:この頃、日記そのもののタイトルが「killing time」というものでした。「暇つぶし」という意味です。)
おれが書いてるのは日記じゃねえ。
そのまんまだが「殺しの時間」だ。
伝えたいのはメッセージだが載せたいのは日記じゃねえ。
むしろ絵画だったり、音楽だ。
毎日書いてるのはそう、日記じゃねえんだ。
「殺しの時間」という表題のオーケストラ、それぞれの楽章なんだ。
だからってやりたいのはクラシックじゃねえ。
なんだってそうさ、わかりやすい、ロックだ、パンクだ。
「ノーパンク、ノーライフ」なんて受け売りをやりたいわけじゃねえが大正解、その通りだ。
かくしてそう、名の知れたロック・スターたちはおれの代弁者だ。
彼らもおれも自分の思うようにやってるだけだ。
かといってみんなになぜか伝わるんだ。
それは結局、誰もがおんなじことを考えてる、いや、考えてることに大差はない、ってことさ。
そうさ、それに気付いて書いてるんだ、おれ。
誰もがそう、「一般」の中に棲んでいる。
「平凡」の檻の中にいる。
かといってその折から抜け出す方法はねえ。
なにせ「一般・平凡」の檻は他でもない、おれたち自身だからだ。
そうおれは平凡だ、おまえも、そこの!おい、おまえもだ。
結局のところ誰も知らないふりをするが「一般・平凡」ってのはおれら全体の集合、いやホントに集めただけなんだ。
だから特別なんてやつはいねえ。
結局ロック・スターが圧縮したモノを、おれは細切れにしてるだけだ。
そうだから結局、そうさ、だれも同じなんだよ。
そうさだからおれがやりたい「殺し」は平凡とかそういうのにとらわれていつまでもグダグダ言ってるおまえらなんだよ。
いまいったように結局平凡なんてたいしたことじゃねえ、それどころかそんな概念は存在しねえ。
だれもがそれぞれの「個性」なあんていう、特別を信じることさ。
いや、そういうふうにできている。
なんだって、こんなにほじくり返す意味なんてねえ。
それどころかおまえがやってるそんなこと、そう、この文章を読むってコトさ、そこには何の意味もねえ。
だがおれがやりたいのはいくらでもあるアタマの使い道に、たくさんの可能性を与えてやる、それだけさ。
机の前で下向いてやるのは勉強?そんなんじゃねえ、ただのオナニーさ。
だからってバカにしてるわけじゃねえ。
おれはそんなコトさえできなかったさ。
いや、意味がないなんていうばかげた理由で今まさに捨てようとしているさ、だがそんなことに意味はねえ。
だがもう一度言う、やってても意味はねえ。
あるのは60%くらいの確率の「ラク」な生活と、歪んだ満足感さ。
だからおれがやりたい「音楽」ってのはヘボい人生応援歌じゃねえ。
やらねえ。やりたくねえ。
必要に迫られるからやる、むしろそればっかりだ。
だがおれはそれを悪いとは思わねえ、だからといっていいとも思わねえ。
だってモノゴトをやるのにはそれしか理由はねえ。
勝手なことをやるのもいい、だがそれだけ必要なものが多くなる、動きが増える。
疲れてしまうだけだ、わかるな、これ読んでるやつだからな、ナァ、疲れたろ?
すでにおれが何を言いたいかなんてわかんねーだろ?
だからっておれは自己完結したいんじゃねえ。
ここに残すこと、それはおれが決めたと同時に、必要なことなんだ。
お前らには必要ないかもしれねえ、でもそれなら見なければいい。
おれはこの先にすばらしい未来があると信じて疑わねえ。
だから必要なことをやってる、これを書いてる。
そうさ結局理由なんてねえ、おれに理由なんてねえ。
なんのことはない、おまえらと同じことを考えてる、そう平凡さ。
だから特別だ。これを知ってるかどうかが、大事だ。
きっとそうだ。
お前らしっかり聞け、おれが言いたいのは。
結局そういうことだ。
雑踏の中で、おれの口が、そう言った。
何も特別なことじゃない、おまえらが思うようなことと、同じだ。
ただおれはそれを書いていくだけ、そう何も特別なことじゃない。
おれのやってることはロック・スターとそうかわらねえ。
また、お前らともかわらねえ。
ロック・スターも、おれも、おまえらも特別じゃねえ。
だけどやるかやらないかだけだ、やりたいならやればいい。
おれはやる、ただ、それだけだ。
何も特別なことじゃない。