2000年4月 のアーカイブ

コロシテクレ

2000年4月26日 水曜日

ひさしぶりにまたこの空虚感が戻ってきた。
おれはどうすればよいのだ。
でもこの空虚感を埋めるのはおれだ。
そしてこの痛みを癒すのは慰めじゃない。
喜びじゃない。気休めじゃない。
痛み。
もっと痛みを。
もっと痛みを。
そして破壊。
いつも言ってる、「価値のあるものの破壊、そして再構築」じゃない。
手当たり次第に殴りたい。
この右手で打ち砕きたい。
破壊願望は結局のところ、外ではない。
自分に向けているのだ。
価値のないもの…おれ。
価値なんて幻想だと誰かが言った。
でもその幻想なくして人は生きられない。
価値そのものがないと何もできない。
そう、なにも。
いまのおれ…なにもない。
それでもポジティヴが邪魔をする。
いまのおれを、等身大で肯定できなくてどうする。
時間、それは「いま」の集まり。
でも「いま」は一瞬だ。
限りなく積み重ねられた過去や、はるかに遠く続く未来に比べることさえできない。
しかしその一瞬あとにはもう過去になり、未来がやってくる。
決定論に侵される。
「いま」はもう、限りなく過去に近く、そしてまた限りなく未来に近い。
「いま」は消滅してしまう。
おれはどこに生きているんだ?
そしてまさにリーゾンデーテルの消滅。
それ故に破壊されたい。
なくなってしまえばいいのに。
「だからみんな死んでしまえばいいのに」
泣きたいのに涙は出ない。
なるようにしかならない。
でもおれがなるようになるのに、一部の人間が巻き添えを喰う。
おれはそれは仕方ないにしても、やりたくない。
とくに愛する人とあってはもってのほか。
どうしてこんなやり方なんだろう?
もっと痛みを。
転んだことがないから起き上がり方を知らない。
いやだいやだいやだ。
もっと痛みを。

間違ってる

2000年4月25日 火曜日

間違った世界の中でも、偉くないやつに発言権はない。
いくら間違った世界でも、いくらそいつが正しくても。
そしてその間違った世界を正そうと、必死でもがくけど、そいつは押さえつけられる。

正したい、そのために偉くなったとしよう。
でもこの間違った世界の中でも偉くなってしまえば、変える気なんてなくなるさ。
あったとしても、ひとりじゃどうにもならない。
絶望。
それは何に向かって?

「腐ってやがる」
いくらでも言っていられる。
だからって何が変わった?
その間違った世界の中で。
「正しいことをするのがいいことではない」
そう言うのなら、これは本気でぶっ潰さなきゃならん。

…だけど、おれには何が正しくて何が間違ってるのかわからん。
自信を持って「こうだ!」とは言えんかもしれん。
でもきっと間違ってる。
でも間違っていてはいけない、かどうかは知らない。
でもそれでいいじゃん?
正す必要がある、そう信じてる。

やるしかないんだよ。

宇宙

2000年4月22日 土曜日

踏み切りにて。
母親が、子供をあやすために電車に手を振っている。
「ほらほら~」
赤ん坊は、母親のわきの下に手を伸ばし、しっかり握った。
あの、小さな手には、不安が満ちていた。
母親は、赤ん坊にとって唯一の安心。

おれも、不安に満ちていた。
やはり赤ん坊のそれと同じだったかもしれない。
この大きな宇宙に、たった一人で生まれてきた。
生まれたら、そこには母親やその他もろもろがいただろう、
だけれど、ひとりで、未来への扉を開いていったのは間違いない。
たった、ひとり。
この不安に、赤ん坊は耐え切れるだろうか?そんなことはない。
まさしく本能的に、母親を絶対に信用する。
そう、本能が、そうさせる。

でもおれに、ひとつのものを信じることができるだろうか?いやできない。
育った理性は、母親だって人間のひとりだということを告げる。
母親はもうおれを安心させない。
かといって、このまま不安なままで生きていけるだろうか?やはりできない。
おれは何を信じてこの不安をやり過ごせばいい?
どうしたらこの宇宙の大きさに恐れなくてすむ?
見ないようにしてるね、誰もが。
目先のことにとらわれて、そんな大きなものを感じないようにしてるね。

この不安は、どこからでもやってくる。
生まれつき、信じる心はもってるのに。
どうして信じてやっていけないんだろう?
赤ん坊にあこがれちゃいけないかい?

もう恐くないよ。(って言ってほしいんだ。)

(註:()内は2006/09/12加筆。多分、こういう意味だったんだろう。)

通り過ぎていく

2000年4月13日 木曜日

喉の下に、
黒い「もや」が、
いや「ケムリ」が、
たまっているから、
おれはそいつを、
吐き出そうと、
深呼吸をするけど、
そのたびに、
頭の中では殺気立つし、
体は力が抜けるし、
やっぱり春だし、
体の中と外気との区別がつかなくなるわけで、
なつかしいような、
うれしいような、
桜の花びらのように、
風がおれを運んでいくんだ

たどりついたのは、
どこ?
ここはどこ?
考える間もなく、
またとばされていくわけなんだけど、
黒いケムリはいまだ消えず、
いっそのこと体ごとひきちぎられて、
直接出ていくのを待って、
そう待ってるだけだけどさ、
こんなことを考えてるんだ

「桜ってなかなか散らないなあ」
はかないのは、
華やかさを求めるからなのに、
おれはそれを美しいと感じて、
やまない

allweys

2000年4月5日 水曜日

いつだって目は見えるし
いつだって耳は聞こえるし
いつだって口はきけるし
だからいつだって感じていられる
だからいつだって思うことがある
だからいつだって考えていられる
それならいつだって冷静に判断できるはず
いつだって合理的にモノが見れるはず
いつだって失敗はないはず

でもいつだって、そうでないのがあたりまえ
でもいつだって目は見えるし
いつだって耳は聞こえるし
いつだって口はきける
そんなこといつだってわかってるのに
いつもすっかり忘れてしまっている

だから
ぼくら人間なんだ
いつだって人間でいられる
いつだってカッコよくいられる
そんなの思い過ごしだって?

いつだっておれのは思い過ごしだよ。

だましあい

2000年4月3日 月曜日

ひとはカッコよく見せるために、演技をする。
その演技は時に激しい自己嫌悪を呼ぶ。
それから逃れるために「それが必要なんだ」と思い込む。
そして自分はカッコよくなった気になる。
他人はその演技を演技であるかどうかわからないし、
その人間をそういう人間だと思ってしまう。
本人さえ本物を歪めてしまったことを忘れ、それを本物と思い込む。
そうしてみな、その人間がもともとそういうものなんだ、としてしまう。
でもどこかでその違いはばれてしまう。
そのとき本人は現実に連れ戻される、自分はなんて醜い人間なんだ。
だがそれでいい、だれもそんなこと気にしていないのだから。
だれもが自分をカッコよく見せることに精一杯で、他人が勝手に自己嫌悪に陥ってもへっ、なんだそりゃ。
彼は余計つらくなる、自分はこんなやつらと同じ、作り物を愛していたなんて。
自分自身を見失う、そうここにいるのに見つけられない。
本当に自分を愛するとはどういうことなのか。
自分が見つからない、いや本当はここにいるのはからっぽなんじゃないか。

うう。

別にもうカッコよくなくていい、はやく自分を見つけたい。
そうしたときに、本当にカッコよくなれる。