2005年9月 のアーカイブ

適正な仕事量=(体力+精神力/2)*0.7

2005年9月19日 月曜日

各々キャパシティというものがあって、それを超えた仕事は悪循環を引き起こす。
こんなスポーツの世界では当たり前のようなことが、仕事(私の環境限定かもしれないが)となると無視されている場合が多いようだ。今どき硬式野球部でも精神論的トレーニングというのは流行ってないんじゃないだろうか。
体が水を必要とする前に水分を補給することから始まり、筋力トレーニングはセット法を用いるのがもはや常識だ。しかもトレーニングと仕事の違うところは、オールアウトしてはいけないという部分だ。

その日の仕事でキャパシティぎりぎりを出し尽くしてしまうと、まず間違いなく次の日の仕事に支障が出る。しかもその場合残業時間が当然長いから、十分な休息時間が取れず、回復しないまま次の日の仕事に望むため、集中力はイマイチになり当然時間がかかる。結果残業時間がまた増え、体力精神力共に回復しないまま一週間が終わる。

当然仕事を効率化し、最短時間で終わらせることは必須だ。だが管理職の人間はその具合を考慮しつつ、それを正確に把握し、個々人のベストパフォーマンスをほぼ100%の割合で引き出してやるのが努めなんじゃないだろうか。そうすれば自分だって残業が減るじゃないか。

愚痴になってしまったけど、自分の仕事に対する意識の高さを保つための覚え書きとして。
よし、頑張って早く帰ろう。

バカは死ななきゃ治らない

2005年9月16日 金曜日

何をしてもそれなりにできる人間と、そうでない人間がいる。
その差は何か。経験上、「物事を正確に捕らえられる」という能力に他ならない。
これは人間が生きていく上で当たり前に必要な能力であり、学校教育とはこの能力を育てるためのものである。国語は言語を操れるように、数学は単純化された世界の中での「仕組み」を操れるように、といった感じで、平たく言えば文系は「人間を読む学問」、理系は「世界を(自然を)読む学問」と言える。

が、「正確に」となると今の学校教育ではちょっと難しい。なぜなら受験のための「勉強」しかそこには存在しないからだ。上記のようにその細分化された学問の本来の意味を理解した上で学んでいないから、「数学なんて社会に出たら使わないよ」なんて言ってしまう。使えないのはお前の方だ。

理系だとか文系だとかの枠組みは受験のためのものでしかない。それなりにできる人間というのは、そういう枠組みを意識しない。本質を見つけてしまえば、目の前にあるものに四苦八苦しなくても済むからだ。一を聞いて十を知るとはこのことである。

わかりやすく言うと、できる人間は「視野が広い」のだ。物事を多角的に捕らえて、本質を頭の中でインデックス化してしまう。他の問題にぶつかっても、インデックス化された知識やノウハウを転用できる。すると新しく覚えたり学んだりすることは最小限で済み、結果「できる」と言うことになるという仕組みだ。

適材適所という言葉がある。
これはこの「できる」「できない」を分けることじゃないかと思う。(日本においての)貧富の差、そんなものはあって当たり前だ。状況を嘆くくらいなら死んでるのと同じだ。まずはそのおめでたい頭の中を入れ替えたらいかがだろうか。

書きたいことは山ほどある

2005年9月6日 火曜日

…が、いつも書く環境になかったり、眠くて寝てしまったりする。
ダメだ。これは自分の為にすごくよくない。
結局、結構な数のアイデアや考え方を無惨にも闇の中へ還してしまっているのだ。

いろいろとwebデザインについてとか音楽についてとか自分の将来についてとか考えた。
確かにそれは記憶されるものだけども、それらは日々更新されるものであって、常に頭の中には最新版の情報しかない。
だんだんとシェイプされまとまっていくのはいいのだけれど、後で捨ててしまったものを取りかえしたくなることもある。
というか、それをしないとけないのだ。推敲とはそういうことだと思う。
そのためには「ログ」を取るのが一番。それを簡単にしてくれたのがウェブログ。
のはずが、結構面倒くさいとついに気づいたおれがなすべきこと、それは!

もっと簡単な方法を模索する

あ…その模索のログはどこに溜めればいいんだろう。