何をしてもそれなりにできる人間と、そうでない人間がいる。
その差は何か。経験上、「物事を正確に捕らえられる」という能力に他ならない。
これは人間が生きていく上で当たり前に必要な能力であり、学校教育とはこの能力を育てるためのものである。国語は言語を操れるように、数学は単純化された世界の中での「仕組み」を操れるように、といった感じで、平たく言えば文系は「人間を読む学問」、理系は「世界を(自然を)読む学問」と言える。
が、「正確に」となると今の学校教育ではちょっと難しい。なぜなら受験のための「勉強」しかそこには存在しないからだ。上記のようにその細分化された学問の本来の意味を理解した上で学んでいないから、「数学なんて社会に出たら使わないよ」なんて言ってしまう。使えないのはお前の方だ。
理系だとか文系だとかの枠組みは受験のためのものでしかない。それなりにできる人間というのは、そういう枠組みを意識しない。本質を見つけてしまえば、目の前にあるものに四苦八苦しなくても済むからだ。一を聞いて十を知るとはこのことである。
わかりやすく言うと、できる人間は「視野が広い」のだ。物事を多角的に捕らえて、本質を頭の中でインデックス化してしまう。他の問題にぶつかっても、インデックス化された知識やノウハウを転用できる。すると新しく覚えたり学んだりすることは最小限で済み、結果「できる」と言うことになるという仕組みだ。
適材適所という言葉がある。
これはこの「できる」「できない」を分けることじゃないかと思う。(日本においての)貧富の差、そんなものはあって当たり前だ。状況を嘆くくらいなら死んでるのと同じだ。まずはそのおめでたい頭の中を入れ替えたらいかがだろうか。