web日記と、それを公開することの意義(長いよ…)

それまで、日記を書いたことはなかった。
なのに中学生の時、web日記のようなものを始めた。

最初に作ったwebサイトは、mp3の紹介…エンコードの仕方、プレーヤーのレビュー、そんな感じだった。
当時はまだオタク以外mp3なんて単語は知らず、回線も28.8kbpsのダイヤルアップが主流の時代。
おれの使っていた富士通FMVはpentium133MHz、メモリは16MB×2という今ではLinuxすら走らなそうなスペックのマシンだった。

まぁとにかく、そんなサイトだったのである一定の記事を書いてしまえばさして追加していくようなものもなく、それでも有り余った更新へのエネルギーは、そのころ流行っていた「web日記」へと向かった。

毎日、感じたことを綴ろう。
今感じたことは、絶対後になったら取り戻せない。
それには単なる出来事は必要無い。

感情そのものを文章に固着しようと躍起になった結果、散文詩のような?なんだかよくわからないスタイルに固まり、日記が続いた。
まぁ毎日など到底続くわけもなかったが、細々と、たまに気合いを入れなおしたり、本当に途切れたりしながら今まで一応続いている。

そういうものを書いていたので「公開する意味があるのか」と何度も思った。
が、単純に伝えたかったのだ。
親しい友人、おれを魅力的だと思ってくれる人に、「お前もやれよ」と。

webの普及(昨今のblogブームも)で、おれは「国民総表現時代」が来たとおれは思っている。
何も絵や歌じゃなくてもいい時代になったんだ。
誰もが好きなことを言い、それを共有すればいい。

「つまらないかも」と思ったことも、誰かの財産になる。
そう思ってきたから、おれは下手糞でも絵を描き、ギターを弾き、歌を作り、平凡な言葉で、未だにこんなことを書いている。

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