やる気がない時期というものくらい誰にでもあるはずで、そのたび若者は「自分はダメな奴だなあ」と思っている、と推察される。
自身の中学・高校時代を思い返してみると間違いなくそうで、いかに「やる気」を維持するか、またひねり出していくかを本気で考えては失敗し、その度自己嫌悪に陥るというアホっぷりを遺憾なく発揮していた。具体例としては、
「英語をする→飽きたら数学をする→飽きたら英語に戻る」
という1日中勉強を続けられるという永久機関もびっくりな「やる気維持システム」。これは何度試しても実現不可能で、理由こそわからなかったものの、すぐに破棄されてしまったプランである。
が、人間進歩しないもので、22になった今も同じようなプランを立てては失敗するわけで、これはいかん、といろんな文献を参考にし、いわゆる「ライフハック」や「リフレッシュ法」などを見て回るという「それが結局は時間の無駄なのでは」と言いたくなるような毎日を過ごしている。
結局、あたりまえに知ってはいるものの、にわかに納得したくないことが解決の糸口であることに気づく。
自身が「無駄だ」と思ってしまっていることは実は無駄ではない、ということだ。そもそもが必要なことばかり繰り返して何かを成し遂げ得るか、ということに尽きるのだ。例えばあるアイデアが浮かび仕事を効率的に片付けられた場合において、そのアイデアはその仕事の中だけから生まれたものか、ということだ。もちろんそうではない。それ以外の仕事や、はたまたそうでない活動から得られた何かが、相互に密接に関係している、そういうことだ。
無駄な時間、大いに結構。若さ故の特権である「がむしゃらさ」は振り返ると大きく道を外れてしまう要因でしかない。同じく
「自己嫌悪」は、ポジティブに進められるはずのものごとを悲しみに染めてしまう行為に他ならない。
やる気なんてなくたっていいのだ。どんなことも、それで十分うまく片付けられる。