僕たちは何を伝えたいのか。
僕たちは何故伝えたいのか。
言語によるコミュニケーションが幻想であるのは、
愛し合う二人の「愛してる」に微妙以上の差があることで明白だ。
それでも「愛してる」と言うのは何故か。
僕たちは何を伝えたいのか。
僕たちが寂しくなるのは、
ひとりで「死」に対峙するのが困難だからで、
そういった類の「どうにもできない何か」を分かち合いたいからで、
「僕たちはおんなじだ」と言って同化したいからだ。
それでも、「僕たちは繋がっていたい」とまとめてしまうのは簡単すぎやしないか。
僕たちは何故伝えたいのか。
僕たちが「個」として存在したいのは、
僕たちの「共同体」がガン化しないための単なる機能に過ぎなくて、
それ故、昨日見た美しい何かも僕だけのものじゃなくて、
僕たちみんなにとって美しい理由がそこにはあるのだ。
それでも、「僕たちはパーツに過ぎない」とまとめてしまうのは安易すぎやしないか。
では、
僕たちは何を伝えたいのか。
何でもない。ただ、美しいものを、美しいと言ってしまうだけだ。
僕たちは何故伝えたいのか。
理由はない。ただ、僕たちには伝えられる相手がいるのだ。