新しい発見は他人が運んでくるものだと思う。
変わるのは自分だが、きっかけをくれるのはいつも他人だ。
出会いが途絶えたらどうすればいいのか。
お外へ飛び出していくしかないのか。
昔の友達とも会ってないのに。
本でも読むか。
面倒がってたら何ひとつ進まないのは、今までの短い人生で重々承知だ。
新しい発見は他人が運んでくるものだと思う。
変わるのは自分だが、きっかけをくれるのはいつも他人だ。
出会いが途絶えたらどうすればいいのか。
お外へ飛び出していくしかないのか。
昔の友達とも会ってないのに。
本でも読むか。
面倒がってたら何ひとつ進まないのは、今までの短い人生で重々承知だ。
のんべんだらりと仕事をしても、先は見えないし怖くてしょうがない。
細かく目標を立てて進んでいかないと、簡単に路頭に迷ってしまう。
「フリー」ってそういうものかもしれない。
というわけで月収の目標を立ててみた。
ライフハッカーによると、家賃が収入の28%以下なら分相応の生活なのだそうだ。
先日引越した先の家賃が75,000円だから、これを「分相応の額」と言うには、
75,000÷0.28=267,857.143
26万7千円の収入が月に必要ということ、ですか…
妥当すぎる額。リアルすぎる額。あまりにも最低限の額。
しかし貧乏SOHOには素晴らしい目標かもしれない。
今日も頑張ろう。リアルに頑張ろう。
サーバ移転時に巻き戻りました。
mysqlとかxoopsとかいい勉強になりました。
僕にとって「文章(ブログ)を書く」とは「何かを考える」ということです。
書かないということは即ち「何も考えていない」ということです。
そろそろいいんじゃない?
ちゃんと考えて過ごそうよ。
例えば集中力がないとき、例えば時間がないとき、例えばやる気がないとき、そんなとき、
簡単なデザインでさえ的をハズしてしまうことがよくある。
何も思いつかないまま、適当に手なりに進めてしまう。
これではまず失敗する。
重要なのは意味なのだ。何のためのそれなのか。
「目立たせたい」のは何故か。だとしたらどうまとめたらいいのか。
ここである程度パターン化された部品をストックしておけば、
いざ困ったときでもストックから最善を選べばOKになる。
十分に「意味」が含まれているストックをリストしておけばだけど。
余裕があるときに作る。
今まで作ってきたものの中からピックアップすることも含め。
日々それなりに「楽しいよねー」って思うだけでいい気がしてきた。
そんで、なんか楽しいことをしっかりしておけばいいだけ。首を傾げてぼーっとしてなければいいだけ。
wordpress MEってもう終わってたんだね。
最新版の日本語版ってのを入れてみたけど管理画面が洗練されまくり。いいなあ。
ついでにmixi同時投稿プラグインを入れてみたけどうまくいかないから放置。諦めよう。
洗い物、部屋の片付け、その他諸々あるけど先にやってしまおう。
「楽しいよねー」と思える環境をまず整えるべし。
精神は肉体の一部。肉体改善が先。養老先生曰くこういうことだよね?
おれは知らなかった。この曲がマザーの曲だったということを。
マザーは未プレイだけど、どうしてもやらなきゃならんようだな。
ウィキペディア「MOTHER」
メインテーマ”Eight Melodies”は教育出版発行の平成4年度小学校6年音楽の教科書に、合奏曲用楽譜として掲載された。これは楽譜のみで、ゲームに関する内容や歌詞の記載は一切無い。
記載のタイトルはエイトメロディーズではなかった気もするけど、
何故あれから12年たつまでこの事実を知ることがなかったのか不思議でならない。
平成4年。ちょうどおれは小学6年生だった。
音楽の教科書に載っているこの曲が非常に好きで、授業で合奏する以外にもリコーダーで吹いていた記憶がある。
普段なら面倒くさい楽器演奏が楽しいものに豹変したわけだ。
音楽の授業には感謝している。
高校だか中学だか忘れたけど、コード理論の授業の時だけは真面目に聞いた。
テストも97点だったと記憶している。
音楽の授業がカリキュラムに含まれていなければ、
きっとおれは作曲はおろかギターの演奏すらしなかっただろう。
wikipediaとニコニコ動画がまさかおれの人生の何かを掘り起こすとは。
なんかすげーやる気でた。
「生活をデザインする」ってことは、「つまんないことを排除して面白いことだけに満ち満ちよう」ということだと思ってた。
10年くらい前からずっと、そうやってつまんないことを放り投げてきた。
残ったのは、いつも空しいだけの薄っぺらい時間の蓄積だった。そこに面白いことなんてなかった。
あげく余計につまんないことを増やして、それをまた放り投げて、どんどん密度は落ちていくばかりだ。
つまんないことはある。というか、そのつまんないと思ってることは全然つまんなくない。実は。
だって、それを放り出した後に満ちることがらが、放り出す前より面白かった試しなんて一度もないんだから。
いいから前を向け。そんでもって、つまんないはずのことをできるだけ面白い方法でやればいい。
要は、工夫が足りないんだ。通学時間のウォークマンや、夜の勉強のラジオのような工夫が。
頭は腐る。使わなければ、すぐに腐る。
文字通りそのままだけど、去年は後回しにすることによるツケを払うことに終始した1年だった。
実際には、一昨年もその前も同じだったんだけど、
結局この負のスパイラルを断ち切ることでしか攻めの姿勢を作ることは出来ないんだと実感した。
攻めなきゃジリ貧で死ぬ。
新年の抱負として。
見た目よりおれはヤバい。危機感を持つことに損はない。
今しかない後がない(リンク先のアルバムの10曲目)。
1ヶ月以上に及ぶ「やる気出ねえよ症候群」は、症状を軽減しながらも継続中である。
しかしながら、やる気が出ないからと言って行動しないことは許されない。
きっとそれが大人だし、それが責任というものだ。
それに、行動せず待っていたらやる気が出るわけじゃない。
むしろ、いやいや行動するうちにやる気が出てくるものなんじゃないのか。
諦めて始めよう。
それが唯一にして最善の方法だった。
僕たちは何を伝えたいのか。
僕たちは何故伝えたいのか。
言語によるコミュニケーションが幻想であるのは、
愛し合う二人の「愛してる」に微妙以上の差があることで明白だ。
それでも「愛してる」と言うのは何故か。
僕たちは何を伝えたいのか。
僕たちが寂しくなるのは、
ひとりで「死」に対峙するのが困難だからで、
そういった類の「どうにもできない何か」を分かち合いたいからで、
「僕たちはおんなじだ」と言って同化したいからだ。
それでも、「僕たちは繋がっていたい」とまとめてしまうのは簡単すぎやしないか。
僕たちは何故伝えたいのか。
僕たちが「個」として存在したいのは、
僕たちの「共同体」がガン化しないための単なる機能に過ぎなくて、
それ故、昨日見た美しい何かも僕だけのものじゃなくて、
僕たちみんなにとって美しい理由がそこにはあるのだ。
それでも、「僕たちはパーツに過ぎない」とまとめてしまうのは安易すぎやしないか。
では、
僕たちは何を伝えたいのか。
何でもない。ただ、美しいものを、美しいと言ってしまうだけだ。
僕たちは何故伝えたいのか。
理由はない。ただ、僕たちには伝えられる相手がいるのだ。